生体の科学 42(3): 237-239, 1991

機能不明の脳神経

藤田一郎

 脊椎動物の脳からは12対の脳神経が出ている。「第2脳神経は何か?」と問えば、医学や動物学を学んでいる学生は、即座に、視神経と答えるだろう。それで正解である。しかし、50年前、答えは別であった。終神経(terminal nerve)―これが、当時の正しい答えである。この神経は、1878年にFritschがサメで発見し、以来、世紀の変わり目に、多くの解剖学的研究がなされ、ヒトを含めてほとんどすべての脊椎動物が持っていることが確かめられた。ところが、その後、数十年の間、終神経は研究者から無視され続け、1968年には、国際解剖命名規約の上で、第2脳神経の座から滑り落ちた(今日、終神経は命名規約では自律神経の一部にリストされているが、この分野の研究者は第0脳神経と呼んでいる。)ちなみに、Fritschが論文を発表した1878年から100年の間に発表された終神経に関する論文の数は50編にも満たない。ところが1980年代になって、この神経の奇妙な側面があいついで明らかになり、終神経の研究のリバイバルが訪れた。

 終神経はどう奇妙なのか。まずその解剖学的経路である。板鰓類(サメやエイの仲間)のように終神経が神経束として独立して走行している例をのぞき、多くの脊椎動物では、終神経の細胞体は嗅神経の中に混在している(図1A, B)。そして、その神経突起の一部を嗅上皮に送っている。別の突起(軸索)は脳に向かい、嗅覚の一次中枢である嗅球を通り、さらに嗅球の出力経路である嗅索を介して、前脳および間脳の性行動や生殖を制御する部位へ達する。驚くべきことに、魚類ではこの軸索の一部がさらに視神経に入り、網膜にまで達する1-3)。すなわち、この神経は鼻と眼を結んでいるのである。

 鼻を出発し、性行動や生殖を制御する脳部位を通り、眼に到達するという経路は、この神経の機能に関して様々な想像を駆りたてる。機能に関する第一のヒントは、終神経が生殖腺刺激ホルモン放出ホルモン(GnRH)を含んでいることである。GnRHはホルモンとしてだけでなく、神経系の中で神経伝達物質・神経修飾物質として働いている4)。また、GnRHを実験的にメスのラットの脳に注入すると、内分泌系を介さずに性行動を促進することが知られている5)。第二のヒントは終神経の走行位置である。終神経は嗅神経、嗅球、嗅索の内側部を走行している。魚類や哺乳類の嗅覚神経路の内側部を破壊すると、性フェロモンに対する行動応答や内分泌応答が消失するが、哺乳類では、そこには副嗅覚系と呼ばれる別の神経系があり、それが性フェロモンの情報を伝えているというのが定説である6)。しかし、終神経の存在を考慮に入れて、従来の破壊実験の報告を吟味してみると、副嗅覚系の破壊(たとえば鋤鼻神経の切断や副嗅球の凝固)は終神経をまきこんでおり、再検討が必要となった(図1C)。

図1
脊椎動物3種の終神経(A:サメ、B:キンギョ、C:ハムスター。A, Bは背面図、Cは、正中断面図を示す。縮尺は統一していない)。
板鰓類の終神経は独立の神経束として終脳と嗅上皮とを結んでいる。真骨魚類や哺乳類では終神経は嗅覚神経路または副嗅覚神経路に混在する形で走行している。真骨魚類では終神経の軸索の一部は嗅覚系路、終脳を経て視神経に入り、最終的には網膜に達し、ドーパミン性のinterplexiform cellsにシナプスを形成する。

AOB:副嗅球、MC:僧帽細胞、NOB:主嗅球、OB:嗅球、OE:嗅上皮、ON:嗅神経、OpN:視神経、OT:嗅索、TEL:終脳、TEO:視蓋、TN:終神経、VN:鋤鼻神経、VNO:鋤鼻器官。

 このような背景のもとで、DemskiNorthcuttは、キンギョの嗅索または視神経を電気刺激すると放精がひきおこされることを見出した1)。彼らはこの結果を、嗅索刺激の場合には順行性に、視神経刺激の場合には逆行性に、終神経線維の興奮をひきおこしたことによると考え、この結果と様々な傍証から、性フェロモンを受容し、その情報を脳に送っているのは、嗅覚系や副嗅覚系ではなく終神経であり、GnRHの放出を介して生殖機能や性行動、さらには網膜の機能を調節しているのではないかと提唱した(たとえば、メスの匂いを嗅いだオスの動物の終神経はGnRHを網膜内に放出し、その結果、網膜の細胞の性質が変わり、メスが魅力的に見えるようになる!)。彼らの実験は、いかにも粗く、いくつかの問題点を含んでいるものの、多くの実験事実を一つのシナリオにのせたことと、味覚・嗅覚に続く第三の化学受容感覚系が脊椎動物に存在する可能性を指摘したことから、この分野の興奮と議論を引き起こすことになった。

 そして、1987年には、終神経に関する初の国際シンポジウムが開かれた7)。ところがその会議では、終神経の機能を探ろうと真っ向から取り組んだ研究、とくに最有力説であるフェロモン受容仮説を検証した報告はなかった。その最大の理由は、フェロモンが物質として同定されており、しかも、終神経の活動をモニターできる動物がなかったからである。しかし、この会議で、筆者はコイ科の魚類の終神経の電気活動を嗅覚系の細胞の活動から区別して記録できることを示し8)Staceyを中心とするカナダのグループは、キンギョの性フェロモン2種類の構造を確定したことを報告した9,10)。われわれは、会議終了後、共同で、同定された性フェロモンに対するキンギョの終神経の応答を調べることになった。

 われわれは、DemskiNorthcuttの仮説を立証できるものと意気込んでいた。しかし、自然は、しばしば、研究者の浅知恵を笑う。性フェロモンは、終神経の活動に何の影響も与えなかった。同定されたフェロモンのみならず、メスのキンギョ含有液、卵巣抽出液、魚類で有効と言われる匂い物質の数々を調べたが、これらもまったく無効であった。一方、嗅球内側部の細胞の一部は、性フェロモンに対して顕著な応答を示した。性フェロモン情報を送っているのは嗅覚系内側部であった。その上、もう一つの驚きが待っていた。それは、キンギョの体を強く押したり、尾をつまむと、終神経の活動が乱されることであった11)。

 性フェロモン仮説が有望でなくなった今、これまでの知見をどう説明するか。キンギョは通常、ほかの個体と接触することは少ない。しかし、産卵期を迎えるとオスはメスを執拗に追い回し、頭つきをし(求愛行動)、時おり、両者ともに、水表に浮かぶ水草の中に入り、体を横に倒し、尾で水面を激しく打つ。この瞬間に放卵と放精がなされる。繁殖期のキンギョは、この一連の行動を数時間から数日にわたって繰り返す。この体の接触が終神経の活動を変化させるのではないか。もしくは、放卵・放精の結果、体腔内圧が減少し、それが終神経の活動を変えるのではないだろうか。いずれにせよ、終神経の活動パターンの変化が起きれば、GnRHの終神経からの放出量が変動する。その結果、終神経が支配している領域の、神経細胞の性質が影響を受ける。このようにして、終神経は視覚、嗅覚、および生殖機能の調節を行う可能性がある11)。この仮説もまた、フェロモン受容仮説と同様、今後、何段階にもわたる実験的検証を受けねばならない。その発見以来、1世紀以上を経て、終神経の機能はいぜんとして、謎である。

文献
1) Demski, L.S., & Northcutt, G. : Science, 220 : 435-437, 1983.
2) Springer, A.D. : J. Comp. Neurol., 214 : 404-415, 1983.
3) Zucker, C.L., & Dowling, J.E. : Nature, 330 : 166-168, 1987.
4) Jan, L.Y., Jan, Y.N., & Brownfield, M.S. : Nature, 288 : 380-382, 1980.
5) Sakuma, Y., & Pfaff, D.W. : Nature, 283 : 566-567, 1980.
6) Powers, J.B., & Winans, S.S. : Science, 187 : 961, 1975
7) Demski, L.S., & Schwanzel-Fukuda, M. (eds.) : Ann. N.Y. Acad. Sci., 519 : 1-469, 1987.
8) Fujita, I., Satou, M., & Ueda, K. : Brain Res., 335 : 148-152, 1985.
9) Dulka, J.G., Stacey, N.E., Sorensen, P.W., et al. : Nature, 325 : 251-253, 1986.
10) Sorensen, P.W., Hara, T.J., Stacey, N.E., et al. : Biol. Reprod., 39 : 1039-1050, 1988.
11) Fujita, I., Sorensen, P.W., Stancey, N.E., et al. : Brain Behav. Evol., 38: 313-321, 1991