ブレインサイエンス Vol.6 No.4 : 19-21
特集・展開する認知脳科学

現状と展望

藤田一郎
大阪大学医学部認知脳科学講座

 Cognitive Neuroscience(認知脳科学または認知神経科学)という言葉を見聞きすることが増えてきた。たとえば、神経科学関係のレビュー誌Current Opinion in Neurobiologyは、定期的に、認知脳科学というタイトルのもとに特集を組んでいる。国外には、マサチューセッツ工科大学を始め、いくつもの認知脳科学が存在し、国内にも、同様または類似の名を冠する研究室が生まれている。2,3年前には、認知脳科学会が北米で結成され、また今年(1995年)、モThe Cognitive Neuroscienceモと題する本3)が出版され、そのウエブスターの辞典のような巨大な本を店頭で見かけた方もいるだろう。
 認知脳科学は、知覚、認識、情動、運動制御、記憶・学習、言語、意識といった機能の背景にある出来事を、脳の構造とそこで起きている現象で説明することを目指している。従来の生物学が、外界物理エネルギーが生体反応を引き起こす過程(たとえば、光量子が網膜に達し、視物質の立体構造を変化させ、幾段階かの物理化学的カスケードを経て、視細胞に電気応答を引き起こす過程)を説明できたように、認知脳科学が、脳における生体現象と知覚や認識との間に因果関係を与えることができるかどうかは、自明ではない。そもそも、精神世界が物理世界とは別であると想定する考え(デカルトに発し、John EcclesRoger Sperryなどの神経科学の巨人にも連なっていく二元論;たとえば文献13)や、心の科学的説明には新しい物理が必要であるとする考え8)を否定することが今のところできていない。研究上の技術的な問題とは別に、「脳が脳を理解できるか。」という根本的な問題がそこには横たわっている。にもかかわらず、脳の科学が隆盛している根本には、科学者の持つ素朴な楽観主義(「所詮、この世界には物質とエネルギーしかないのだから、心といえども、この2つのキーワードで説明できるはずだ」「わかると思って研究しなくちゃ、おもしろくない」「行けるところまで行こう」)があるだろう。
 認識や記憶や時には意識までもが、解決可能な研究対象としてみなされるようになり、認知脳科学と呼ぶにふさわしい領域を形成するようになった理由には、次の3つの出来事が重要であったと筆者は考える。まず、第一に、過去10年の間に、認知・記憶のいくつかの重要な側面について概念の整理もしくは問題点の整理がなされたということである。記憶は単一の現象ではなく、意識にのぼり言葉でその内容を記述することのできる陳述記憶と、行為には記憶が刻まれていながら意識にはいちいちのぼらない作業記憶があること、そして、前者が内側辺縁系に依存していることが確立した7,14)ことはその例の1つである。とくに、この概念の成立は、その出発が、側頭葉摘除患者H.M.の臨床観察に始まり10)、1980年代から現在にいたる動物(サル)を使った研究が厳密な基礎を与えるという経過をたどり、臨床神経学と基礎神経科学を緊密な関係に持ち込むのに大きく貢献した。もう1つの例をあげるならば、それは、サルの視覚系の解析が従来の初期視覚野を越えて、視覚前野から視覚連合野へ拡大し、視覚系の概要が整理されたことである2,15)。これらの進展は、研究者に、高次視覚機能(たとえば、物体認識、空間認識、視覚性運動制御、注意、視覚記憶)などの研究の見通しを与え、視覚以外の感覚の研究、さらには運動制御、記憶研究など、近接分野の研究にも大きな波及効果を及ぼした。
 認知脳科学に機動力を与えた第2の要因は、脳活動の非侵襲計測法の発展である。ポジトロンCT法(PET)、超伝導脳磁図法(MEG)、磁気共鳴映像法(MRI)といった、脳の外から脳の構造や活動の局在・時間経過を調べる方法が開発された。非侵襲であることから、ヒトの脳へ適用され、脳損傷部位の同定と認知機能の脱落との対応関係の追求、ヒトに特有の機能(たとえば言語関連の機能)の脳内マッピング、サルにおける研究成果のヒトへの拡張が進行している。特に、機能的MRIfMRI)法の空間的解像度、時間的解像度を利用し、すばらしい成果が生まれつつある5,9)
 第3は、脳の科学が、真に学際的になってきたということである。25年前、神経科学を学際的であると呼ぶその内容は、行動学、生理学、解剖学、薬理学などの様々な実験科学の分野を含むということであった。今日、脳の科学が、学際的であるという意味は、それだけにとどまらない。情報科学、数学、量子力学といった分野の研究者が、脳における情報処理や表現の理論的研究に進出し、また、さまざまな背景を持つ工学者がいわゆるニューラルネット研究を展開している。これら、計算論的神経科学の1980年代における勃興は、脳の科学の幅をひろげた。さらに、神経科学には以前より深く関わってきた分子生物学も、遺伝子ターゲティング法(個体レベルで、遺伝子を欠損させたり変換したりする技術)の導入で、認知的側面の解析に貢献をするようになってきた。その先駆的例は、α―Ca―カルモデュリン依存性プロテインキナーゼII遺伝子を欠如したマウス(ノックアウトマウス)を作成し、シナプスの長期増強(LTP)と空間学習能力に対する効果を見た利根川らの研究であろう11,12)。1973年に発見されて以来、多くの研究者を引きつけてきたLTP1)は、上に述べた記憶の分類の整理、計算論的神経科学における「シナプス荷重の分布がネットワークの動作を決める」という概念の確立、そしてノックアウトマウスによる機能的因果関係の追求の3つが相まって、真におもしろい研究対象になってきたというのが筆者の私見である。
 さて、本特集では、読者の多様性を考慮して、あえてテーマを1つに絞らずに、認知脳科学のさまざまな局面を扱った4つの論文を執筆者の方々に依頼した。ごく簡単に各論文の扱う問題についての導入を行い、この稿を締めくくることにしたい。まず、中村論文は、サルの脳において見いだされる「顔に選択的に反応する視覚性細胞」いわゆる「顔ニューロン」について、知られていることと不確かなことをまとめ、顔ニューロンの意味に検討を加えている。顔ニューロンの発見は、この30年間の視覚研究の中でも特筆すべき出来事の1つであったが、その性質の充分な検討がなされぬままに、もしくは、研究の中身が充分に咀嚼されぬままに、その意義が議論されてきた。本総説は、顔ニューロンについての知見をコンパクトにまとめ、有用な議論の基礎を提供している。顔ニューロンはサルの脳のみならず、ヒツジの脳においても見つかっており6)、顔認識がその社会生活において重要であると考えられる動物には、一般的に見いだされる可能性があることを追加しておきたい。
 楠論文は、古くからある身近な謎に対する最新の研究成果を紹介している。問題は、「眼を動かしても世界が揺れ動いて見えないのはなぜか」である。これは、脳が網膜像の情報とともに眼球の動きを制御する運動司令情報を統合していることが基盤にある。このことはごく簡単な実験で確かめることができる。片目をつぶり、開いている方の目のまぶたを指で押して眼球を動かしてみると、眼前の風景がぐらぐらと揺れ動くのがわかるだろう。この場合、眼球は外から受動的に動かされたので、脳の中の眼球運動系が司令を感覚系の方へ送らなかったのである。この問題の追求は、視覚系の細胞が持つ受容野の位置が変化すること、すなわち、「脳内における視野地図が動く」という新しい概念を生み出した。
 小林論文は、計算論的神経科学的アプローチと神経生理学的アプローチが見事に結実した研究例を示している。目の前の視野全体がゆっくり動くような場合(ゆっくり走る電車の窓の外を見ているような場合)、我々の眼は視野の動きを追って動く。この追従眼球運動の制御は小脳のある一部が行っているが、小林論文の紹介する一連の研究は、この小脳部位に、眼球運動制御のための内部モデルが存在する証拠を提出した。制御対象(眼球)の運動を記述するパラメータ(加速度、速度、位置)と小脳のプルキンエ細胞の発火頻度の時間パターンの間に単純な線形関係を想定した方程式が、見事に細胞のふるまいを再現していることに、多くの神経性理学者は驚愕せざるを得ないであろう。
 石合論文は、「半側空間無視」と呼ばれる脳機能障害の発現メカニズムを議論している。半側空間無視とは、右半球損傷の患者が、対象物の全体を認識しているにもかかわらず、対象物の左側に対して反応しないという傷害である。たとえば、小さいAという文字を円周上に並べて丸を描いたものを患者に見せて、それが何であるかを問うと、「Aという字でできた丸である」と答える。にもかかわらず、「では、そのAという字を1つずつ鉛筆で線を引いて消して下さい。」と頼むと、丸の右半分を形成するAという字を消したところで、全部のAを消したとして作業をやめてしまうのである4)。このような意識と行動の乖離は、半側空間無視のほかに、盲視、視覚失認、視覚性運動失行、分離脳などの症例にみられ、意識の脳内機構に迫る数少ない糸口を提供している。

参考文献
1) Bliss, T.V.P. & Lomo, T. : Long-lasting potentiation of synaptic transmission in the dentate area of the anaesthetized rabbit following stimulation of the perforant path, J. Physiol., 232, 331-356, 1973.
2) Felleman, D.J. & Van Essen, D.C. : Distributed hierarchical processing in the primate cerebral cortex, Cerebral Cortex, 1, 1-47, 1991.
3) Gazzaniga, M.S. (ed) : The Cognitive Neurosciences. MIT press, Cambridge, Massachusetts, 1995.
4) J.C. Marsiall & P.W. Halligan : Seeing the forest but only half the trees? Nature, 373, 521-523, 1995.
5) Karni, A. et al. : Functional MRI evidence for adult motor cortex plasticity during motor skill learning, Nature, 377, 155-158, 1995.
6) Kendrick, K.M. & Baldwin, B.A. : Cells in temporal cortex of conscious sheep can respond preferentially to the sight of faces, Science, 236, 448-450, 1987.
7) Mishkin, M. : The anatomy of memory, Sci. Am., 256(6), 62-71, 1987.
8) Penrose, R. : Emperorユs new mind. Oxford U.P., Oxford, 1989.
9) Sakai, K. et al. : Functional mapping of the human colour centre with echo-planar magnetic resonance imaging. Proc. R. Soc. Lond. B., 261, 89-98, 1995.
10) Scoville, W.B. & Milner, B. : Loss of recent memory after bilateral hippocampal lesions., J. Neurol. Neurosurg. Psychiat., 20, 11-21, 1957.
11) Silva, A.J. et al. : Deficient hippocampal long-term potentiation in
a -calcium-calmodulin kinase II mutant mice, Science, 257, 201-206, 1992.
12) Silva, A.J. et al. : Impaired spatial learning in
a-calcium-calmodulin kinase II mutant mice, Science, 257, 206-211, 1992.
13) Sperry, R.W. : An objective approach to subjective experience, Psych. Rev., 77(6) : 585-590, 1970.
14) Squire, L.R. & Zola-Morgan, S. : The medial temporal lobe memory system, Science, 253, 1380-1386, 1991.
15) Young, M.P. : Objective analysis of the topological organization of the primate cortical visual system, Nature, 358, 152-155, 1992.