カテゴリー別アーカイブ : 教授エッセイ

2011年1月10日    趣味の創作(国民みらい)巻頭エッセイ『理屈ぬきに楽しむ』

理屈ぬきに楽しむ 2011-01-10 趣味の創作(国民みらい)巻頭エッセイ 大阪大学大学院生命機能研究科 藤田一郎 うーん、ちょっと困った。 「創作が脳に与える影響を分かりやすく紹介し、生きがいにもつながる創作活動の意義を再発見できるような原稿を」との依頼である。その上、メールには「創作活動、芸術鑑賞が脳に与える影響が大きいことは知られている」とある。「へえ、そうなの」と思わずつぶやいた後、私は […]

2007年1月1日    NBR(「ニホンザル」バイオリソースプロジェクト) News letter Vol.3 No.2 (2007)『正念場を迎えた霊長類実験研究』

2006-01-01 NBR(「ニホンザル」バイオリソースプロジェクト) News letter Vol.3 No.2 (2007) 大阪大学大学院生命機能研究科 藤田一郎 サルを用いた実験研究を行っているわれわれを取り巻く研究環境はこの数年で激変した。個々の事態は突然やってきたわけでも、予告なしにやってきたわけでもなく、われわれは、予見し、準備をし、対応を取りつつ過ごしてきたのだが、ふりかえって […]

2004年1月1日    日本神経回路学会誌 Vol.11, No.2(2004), 45-46『説明責任、IT社会、サイエンス』

2004-01-01 日本神経回路学会誌 Vol.11, No.2(2004), 45-46 大阪大学大学院生命機能研究科 藤田一郎 説明責任 (accountability)という言葉を耳にするようになったのは1990年代前半からと記憶している。社会のさまざまな組織・個人について、さまざまな局面で使われているが、われわれ研究者には、自分たちの行っている研究の必要性、正当性、重要性を、研究費や時に […]

2001年9月21日    生意気であきらめない蛙たち

気がついてみると、私の長男が中学1年生になっている。この文章を読んでいる学生諸君から見れば、私は君たちの親と同じ世代である。1975年に麻布高校を卒業してから四半世紀の歴史が私に流れたが、小田急線、井の頭線、都営バスと乗り継いで麻布に通った6年間の日々は、鮮烈で確固とした思い出として心に刻まれており、私には当時のことがそんなに昔のようには感じられない。あの6年間の4倍以上の月日が卒業以来過ぎている […]

1996年1月2日    1996北米神経科学会:シロアリの未来

1993年に、北米神経科学会が同じワシントン国際会議場で開かれた時にも、別の雑誌に学会の印象記を依頼され、その時は、北米神経科学会と日本神経科学会の比較を行い、学会とは何のためにあるのかを議論した(比較生理生化学、11:45−48,1994)。その中で、会議場にむかう人の群れの中で、自分が、倒木の樹皮下に群がるシロアリの1匹になったようだと書いたものだが、今回の会はまた一段と肥大化し、ごったがえす […]

1996年1月1日    1995国際ニューロエソロジー学会:ニューロエソロジー・ケンブリッジ大会で思う

前回、モントリオール大会をスキップしたので、ベルリン以来6年ぶりに国際ニューロエソロジー学会に参加した。大学院に進学した時に、そもそも動物の行動に対する興味から出発した私にとって、ニューロエソロジーは自分の研究の「根」の部分を形成している。しかし、6年前に魚類嗅覚、鳥類聴覚の研究から、霊長類視覚へと研究課題を変化させた段階で、研究上のつきあいは、大脳皮質、心理物理、計算論をキーワードとするような人 […]

1994年11月1日    比較生理生化学 11:45-48 (1994)『1993北米神経科学会:2つの神経科学会で考えたこと』

1993北米神経科学会:2つの神経科学会で考えたこと 1994-11-01 比較生理生化学 11:45-48 (1994) 大阪大学大学院生命機能研究科 藤田一郎 学会。学会とは何だ。何のための活動か。冬の浜名湖に浮かぶ釣り舟を新幹線の窓から見ながら、アパランチア山脈の紅葉をプロペラ機の上から眺めながら、思わずつぶやいた。 今年(1993年)も、日本神経科学会と北米神経科学会(Society fo […]