月刊みんぱく 37(4), 2-3『誰があなたを一番だましているか』

誰があなたを一番だましているか

2013-01-01
月刊みんぱく 37(4), 2-3
大阪大学大学院生命機能研究科 藤田一郎

■「見える」というできごと

「自分の目で見るまでは信じない」ということばがある。到底信じることができないような突拍子もない話を聞いた時に発せられることばだが、そこには、「この目で見たものは確かだ」という前提がある。これは本当だろうか。

外界世界は目の奥にある網膜に映し出され、そこで光の情報は神経細胞の電気信号に変換される。「見える」という心のできごとがこの時に生じるのであれば、網膜に映っているように世界は見えるはずである。ところが、網膜に映るものとわたしたちに見えるもののあいだにはしばしば乖離(かいり)が生じる。

その顕著な例が錯視である。ある種の特殊な図形を見ると、紙に描かれた図が動いて見えたり、何も印刷されていないところに輪郭が見えたりする。このことは、「見える」というできごとは網膜で起きるのではなく、脳が網膜からの情報を加工した後に起きることを意味している。錯視図形を見ているとき、わたしたちの脳は網膜像に厳密に従わず、示された図形と違ったものを心のなかに作りあげたのである。

手ぶれのひどいビデオ画像を見ていると気持ちが悪くなる。しかし、ふだん網膜に投影されている外界像は、手ぶれビデオどころではない激しいぶれをもっている。というのは、わたしたちは無意識のうちに、1秒間に2、3回、すごいスピードで目をあっちに向けたり、こっちに向けたりしているからだ。それなのに、見えている世界はぴったり焦点が合い、しかも静止している。この場合もまた脳は網膜像に忠実ではないわけだが、そのおかげで、気持ち悪くもならないし、世界は静止しているという正しい解釈も得ている。

■わたしはわたしにだまされる

信じがたいことに、わたしたちはほんの数秒前に見たことを画像として覚えていない。この驚くべき事実を示す変化盲(へんかもう)という現象がある。たとえば、カードマジックをしている様子をビデオにとる。その際、カードを大写ししているほんの数秒のあいだにマジシャンが服を着替えても、カメラがマジシャンに戻ったとき、ほとんどの人は服の色が変わったことに気がつかない。「自分の目で見たものは信頼に足る」などと言えたものではない。目には映っていたはずなのに、目の前の人が2、3秒前に何色の服を着ていたかさえも不確かなのだ。

虚実ないまぜの世界を心のなかに作り上げ、「見えているように世界がある」と思わせている張本人は、私たちの脳である。私たちを最も頻繁に騙しているのは私たち自身なのだ。