1996北米神経科学会:シロアリの未来

1993年に、北米神経科学会が同じワシントン国際会議場で開かれた時にも、別の雑誌に学会の印象記を依頼され、その時は、北米神経科学会と日本神経科学会の比較を行い、学会とは何のためにあるのかを議論した(比較生理生化学、11:45−48,1994)。その中で、会議場にむかう人の群れの中で、自分が、倒木の樹皮下に群がるシロアリの1匹になったようだと書いたものだが、今回の会はまた一段と肥大化し、ごったがえすロビーで人との待ち合わせのために立っていると、シロアリほどの尊厳もない気がした(こんなことを言っては、シロアリに失礼かも知れないが)。10年通いつめて、知り合いは増えたが、知らない人の方がずっと増えているのだから、仕方ない。一体全体、どこから、これらの人々はわいてくるのだ?

会のサイズが大きくなり、見落とし・聞き落としも多くなる。どうやってこの学会への参加を、少しでも意義あるものにするか。そのコツを考えるセミナーを持ったこともある。また、教室員や教室外の仲間と聞くべき演題の割り振りをして、時間的に重なっている発表を手分けをして聞き、帰国後に、この学会の報告会を行なったりしている。そこまでやるのは、この会が、神経科学における情報を得る点で、最もup-to-date でかつ重要な発表の出そろっている会であるからに他ならない。インターネットの発達などにより、求める情報を探すことは、自分の居室からでもできるが、「出会い頭の情報」を得るには、やはり北米神経科学会が最高である。そこには、サイエンス、テクニック、ゴシップの3点セットの情報がうずまいている。

私の専門としている視覚研究分野における、今年の神経科学会のキーワードを一つ上げよといわれたら、それは、contextural modulation であったのではないか。この1年(とくにこの2、3カ月)、受容野の内外に与えた視覚刺激や背景刺激が、受容野内に与えた視覚刺激への心理物理学的反応や神経細胞の反応にどのような影響を及ぼすかを、様々な側面で調べた重要な報告が相次いでいる。 Patric Cavanagh, Mriganka Sur, Michael Paradiso, Charles Gilbert, Adam Sillito, Viktor Lammeの研究室からの論文などが、その例である。今学会においても、その関連の仕事の発表が目立ち、また、興味深いものが多かった。私が現在、関心を持つ下側頭葉皮質においても、Guy Orban のところから、1つの図形に様々な背景図形を加えた時の効果についてのポスター発表があった。これも広い意味で、上記の研究路線にそった仕事だった。ただ、一次視覚野で得られているようなクリアカットな話にはなっておらず、もう一工夫が必要と感じた。その一工夫が何であるかを、自分の課題として考えている。

テクニックの第一の話題は、領野特異的(region-specific)、時期特異的(inducible)ノックアウトマウスの作成が成功してきていることであろう。会議前後に寄った別場所や会議中に様々な話を聞いた。領野特異的(または細胞特異的)プロモーターの探索は成果をあげており、一人のポスドクが10を越えるそのようなプロモーターの探索に成功していることもある。世の中で、いくつ、おもしろいものが見つかっているのか、予想もつかない。いくつか例を聞いてきたが、皆、口止めされているのでここに書くことができない。何しろ、どのようなものが見つかっているのかを、彼らポスドクを抱えるボスも知らされていないことがあるのである。彼らポスドクは、この1、2年先に、ボスのところを去り、自分の研究室を持った時のネタとして、密かに抱え込んでいる。この激しい競争分野の中で危険な賭であるが、ボスに言えば、その日のうちに、その研究室の他のポスドクのネタとして振り分けられるのだから、賭ける価値のある賭けなのである。

1992年に、CaMKIIのノックアウトマウス作成の論文が出た時、人々は驚愕する一方で、脳全体のCaMKIIが発生初期から欠如していることを問題点として指摘した。場所非特異的に、発生初期から特定タンパクの欠如を引き起こすという従来の技術は、あらゆるノックアウトマウス実験の結果の解釈に問題を生じてきたが、この問題点は、4年で解決しようとしている。

もう一つ、テクニックについては、2-photon laser imaging の実用化(商品化というべきか。帰国してみれば、業者から、7900万円なりの定価表が届いている)を話題としてあげたい。カルシウムグリーンを細胞内注入した大脳皮質錐体細胞をインビボで脳表から見た像を、まるで、グリセリン透徹したスライス標本かと思わせるほどに鮮明に示したポスター発表があった。 phototoxicity を最小にとどめるという利点を生かして、学習や発達に伴う細胞構造や大脳皮質機能構築の変化を追う研究(例:LTP/LTDの結果、樹状突起やスパインの形態は変化するか? 特定の実験操作の結果、どのような形態学的過程を経て、眼優位性コラムは変化を受けるか?)に、ごく近い将来、威力を発揮するであろう事は容易に想像される。

実は、私にとって、北米神経科学会で最も圧倒されるのは、上記のような新しいトピックやトレンドではない。心からすごいと思うのは、一つずつ発見を積み重ねている、万を越す研究の総体である。発表者や聴衆のわきをすり抜けながら、広いポスター会場の中を端から端まで歩いていると、土石流のように進んでいく神経科学のすごさに鳥肌がたつ思いがする。

シロアリはいつの日か木を食い尽くすのだろうか。

文部省科学研究費重点領域ニュースレター「高次脳機能のシステム的理解」vol.1(3),1996に掲載