大阪大学大学院 生命機能研究科 認知脳科学研究室 生物学、脳研究、脳と心、意識、認知脳科学、神経科学、行動学、視覚、錯覚、脳の発達
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理屈ぬきに楽しむ

2011-01-10
趣味の創作(国民みらい)巻頭エッセイ
大阪大学大学院生命機能研究科 藤田一郎

 うーん、ちょっと困った。

 「創作が脳に与える影響を分かりやすく紹介し、生きがいにもつながる創作活動の意義を再発見できるような原稿を」との依頼である。その上、メールには「創作活動、芸術鑑賞が脳に与える影響が大きいことは知られている」とある。「へえ、そうなの」と思わずつぶやいた後、私は戸惑ってしまった。

 その理由は、上の文中の「創作」、「創作活動」、「芸術鑑賞」という言葉を、「料理」、「会話」、「散歩」、「ラジオ体操」などのいずれかに変えてみたらすぐわかる。どれに変えても問題がない。要するに、日常生活のできごとすべてが脳に影響を与え、そのほとんどが生きがいにも健康にもつながるのである。

 創作を楽しむことが脳に何らかの良い効果を及ぼすというのはきっと正しい。でも、創作を楽しむことが、友達とおしゃべりすることよりも、脳にとって良いことかとなるとそれは別問題。そこに意見を求められれば、そのようなことを調べた研究論文を探しだし、熟読し、検討した上で答えなくてはならない。

 おそらく、私を得心させる論文は見つからず、「創作は脳に良いだろう。たぶん、おしゃべりと同じくらい」という私の予想を書くことになるだろう。ところが、このように書くと、いつの間にか、後半部分が脱落した「創作は脳に良い」という言説として、まるで創作には特別な効果があるように広まる可能性がある。過去10年、マスメディアを通して、「○○は脳に良い」というような話がうんざりするほど出回ったが、その多くがこの程度の意味なのである。

 というわけで、「くれぐれも拡大解釈をされないように」との前置きをしたうえで、脳について少し述べよう。

 人間を含めて生き物は、無駄なものを体内に維持する余裕はほとんどない。だから、体の中で使われないものは、リストラ、減産、製造中止にあう。この過程は驚くほど速やかに起こる。風邪を引いて床につき、数日後に仕事や家事に復帰しようとすると、風邪はすっかり治っているのに、足や腰や背中が実に頼りなく、ふらついたりする。ほんの一週間、足腰を使わなかっただけで、10%、筋力が落ちるのである。

 脳でも同様のことが起きる。かくしゃくと過ごしていた高齢者が、骨折で入院したところ、数日のうちに、認知症症状を示すようになることすらある。脳は体の中でも飛びぬけて、エネルギー喰いの組織である。重さは体重の2%なのに、エネルギーは体全体の20%を使う。使わない神経連絡は、神経細胞同士の接続部位であるシナプスを取り除くことで廃線となる。シナプス存続のこのルールは、Use-it-or-lose-it rule(「使わなければ失う」則)と呼ばれる。

 なくてはならない神経連絡がしばらく使わないことでなくなってしまうのであれば、大変だ。そこで、いつも使うように努めようということになる。脳のさまざまな場所の神経連絡を保つには、いろいろなことをやるのが良い。そのエトセトラの一つに、創作も入るだろう。このような意味であれば、「創作は脳に良い」と言うことに、私もためらいはない。しかし、繰り返しになるが、別に創作でなくても良いのだ。

 立ち戻って考えて、私たちが「ものを創作する」ことに、夢中になるのはなぜだろう。悦び、愉しみがそこにあるからである。絵画、彫刻、陶芸、書、生け花、文芸、作曲、模型作り、パッチワーク、編み物・・・世の中は、物創りの楽しみにあふれている。やりたいことでいっぱいである。脳を「鍛えたい」から創作に励むのではない。創作を楽しむことに、脳科学風の理屈をつける必要性と妥当性はないと私には思える。本誌読者の多くの方が賛同くださるのではないだろうか。

 さまざまな創作が好きだけど、「脳に関する迷信」だけは創作したくないという脳科学者の、ご期待に添うような原稿が書けなかった弁明でした。


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