大阪大学大学院 生命機能研究科 認知脳科学研究室 生物学、脳研究、脳と心、意識、認知脳科学、神経科学、行動学、視覚、錯覚、脳の発達
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説明責任、IT社会、サイエンス

2004-01-01
日本神経回路学会誌 Vol.11, No.2(2004), 45-46
大阪大学大学院生命機能研究科 藤田一郎

 説明責任 (accountability)という言葉を耳にするようになったのは1990年代前半からと記憶している。社会のさまざまな組織・個人について、さまざまな局面で使われているが、われわれ研究者には、自分たちの行っている研究の必要性、正当性、重要性を、研究費や時には給料の出所である出資機関ひいては納税者へ説明することが求められている。講演会、オープンキャンパスなどを通じて、一般市民の方々に話をする機会がある度に、脳科学の成果が医学や工学への応用を経てわれわれの生活の向上に貢献していることに加えて、脳科学がサイエンスとして興奮に満ちた世界であり、その世界で『研究する=仕事する=遊ぶ』われわれへの理解を求めてきた。いつも限られた時間しかなく言葉を尽くすことはできないのだが、聴衆の方々と会話を交わした経験では、多くの人がサイエンスという行為の価値を認めて下さっている。大変ありがたいことと思う。研究者が「サイエンスはすばらしい」と述べることは我田引水にしか聞こえない危険性があるのでためらいもある。しかし、科学技術研究に経済効果を性急に求める今の社会状況で、研究者自身が言わなくて誰がサイエンスを擁護するのかという思いでいつも一言述べずにはいられない。

 「説明責任」という言葉がでてきたのとほぼ時を同じくして、インターネットによる情報検索が日常的なものとなった。今や毎日、その恩恵にあずかっており、たとえばインターネットを用いた文献検索により、望む文献の入手は格段に楽になった。その一方で、これらの変化は、研究者個々人の活動生産性を他人に対して丸見えにした。研究者の生産性を外から見えにくくしていた暗幕がはずされ、透明なガラスに替えられたのであるから、歓迎すべき点があることは確かだ。しかし、引き続いて、雑誌のインパクトファクター、論文の引用頻度などが数字となって世の中を歩きはじめ、その数字が「説明責任」の材料に使われるようになった結果、今や、この透明ガラスは非常にひずんでいる。NatureとかScienceなど一部の雑誌は、受理されるための激しい競争とそれなりにしっかりした査読制度を持っているし、その読者の多さから、人気も信頼もある。私自身、どんな研究でも成果をまとめるときには、これらの雑誌が投稿先の候補になるかどうかを一度は考えることを告白する。しかし、これらの雑誌を含めいくつかの雑誌が現在、得ている影響力は、不当かつ不健全なレベルにまで来ている。論文を読まずに掲載された雑誌によって、その論文または著者を判断、評価する人がいかに多いかには危機感を持つ。もちろん、責任は雑誌にあるのではなく、利用する側にある。  

 最近、ある悪名高きインターネット掲示板を初めて見る機会があり、生物学関連のスレッドを開いてみたところ、特定の雑誌に掲載された論文の数による研究者ランキングつくりとそれをめぐる不毛な議論に夢中になっている多くの研究者、学生のすさんだ世界があることを知り、驚いた。理想論だけをふりかざすことは意味がないことは私もよく承知している。若い世代に、研究者が置かれている現実と彼らがキャリアを積み上げていく上での戦略は伝えなくてはならないだろう。しかし、何よりも、私たちが見本をもって示さなくてはならないのは、サイエンスの喜びが日々の研究の過程にあることである。このことを知る人は、他人や自身のサイエンスを謙虚に公正に評価することも同時に知っている。

 この一年、ある理論家の方とともに、私たちの得た生理学実験データの解析を一緒に行う幸運を得て、この2、3ヶ月、予想もしなかった結果を堀りおこし、それについて、議論しあうという嬉しい日々を経験した。その時に、その方からもらった電子メールの中に「データからいろんなものが次々と見えてくる過程は推理小説以上にすごいわくわく感なんですね。サイエンスの喜びの原点ですね。」という言葉があった。

まさしく、これだ。


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