藤田一郎氏講演会

 1月27日(土)、雪のなか、図書館ブックフェアー「発明・発見」の講演会が開かれました。講師には、認知の脳科学が専門で、英科学誌「ネイチャー」の表紙を飾る発見などの優れた研究成果を上げていらっしゃる藤田一郎氏をお招きしました。藤田氏は1975年卒の本学園OBで、現在は、大阪大学大学院基礎工学研究科および医学部で教授を務めていらっしゃいます。

講演会は、スライドを使って興味深く進められていきました。最初に、立方体についての錯視(目の錯覚によるものの見え方)が取り上げられました。目の網膜には2次元の像しか映らないのに、それを3次元として見ようとするところに錯視が起きるのであって、2次元の情報のみで3次元を決定しようとするが故に、錯視が起きることは当然なのだというところから出発しました。では、なぜ私たちは外界の世界を苦もなく3次元の世界として受け止めて生活していられるのかと言えば、2次元の情報を3次元に関する情報として処理する枠組み(それを「拘束条件」と言うそうです)を私たちが備えているからだそうです。たとえば、光は上から来るということ前提にして、暗く見えるところを立体の影として受け止めているということでした。

 そのように、ものが見えるということは、ただ単に網膜に情報が与えられているということとは全く別のことで、網膜に与えられた情報が脳によって処理されているということなのだそうです。言い換えれば、ものを見るとは、目が見るのではなく、脳が見るのであって、認知の脳科学とは、ものをものとしてみる脳の仕組みの研究だということです。そして、藤田氏はその仕組みとして、下側頭葉皮質のコラム構造というものを発見し、そのコラム構造において物体の視覚像はその部分的特徴の組み合わせとして脳の中で表現されているということを研究しているそうです。脳の神経細胞の物理的働きがどのようにして人間のこころとしての働きとなっているかについては、まだまだわからないことが多く、これからの学問であることを述べられるとともに、動物実験の必要性とそれへの理解を求めて、講演を終えられました。

 講演の終了後、「ものはあるから見えるのですか、見るからあるのですか?」、「記憶に限界はあるのですか?」、「コンピュータの仕組みと先生の研究とはどう関係しますか?」「科学研究の評価のあり方はどうあるべきですか?」、「留学の経験から受け取ったことは何ですか?」などといった生徒や父母や教員からのさまざまな質問に答えていただき、とても興味深く、有意義な講演会を閉会としました。外はまだ雪が降り続いていました。

 

 藤田先生からは講演会に先立って、「生意気であきらめない蛙たち」と題するメッセージを在校生に送ってもらっていましたので、併せて掲載します。

生意気であきらめない蛙たち 藤田一郎) 

 気がついてみると、私の長男が中学1年生になっている。この文章を読んでいる学生諸君から見れば、私は君たちの親と同じ世代である。1975年に麻布高校を卒業してから四半世紀の歴史が私に流れたが、小田急線、井の頭線、都営バスと乗り継いで麻布に通った6年間の日々は、鮮烈で確固とした思い出として心に刻まれており、私には当時のことがそんなに昔のようには感じられない。あの6年間の4倍以上の月日が卒業以来過ぎているとは信じがたい思いだ。 

 麻布の日々、「すごい奴ら」がたくさんいた。自分の周りを世界が回っていると勘違いしている少年時代のまっさかりだから、皆、まぶしいばかりの自信と野望と純粋を持っていた。今回、麻布学園図書館部主催ブックフェアーでの講演にお誘いいただいた機会に、「麻布の生意気な学生はまだ健在ですか。」と尋ねたところ、「まだいっぱいいます。」との返事をいただき、心からうれしく思う。 

 少年時代から自分の人間としての身の丈を測り、夢を限ってしまうことに較べれば、自分の周りを世界が回っているという錯覚は貴重である。この勘違いをしている少年はおそれを知らず、あきらめず、元気に、大きな夢を追う。人間の大きさは、持っている夢にしたがって変わりうるのだから、先に身の丈を測ってはいけない。背伸びをすれば、それだけ背が伸びるのである。麻布学園という学校は、その点、身の丈を自分で測ってしまうような教育はしておらず、少年を志の高い若者に育てるのが得意である。これは、不思議なメカニズムに依っているようで、麻布学園のどこがどのように大きな夢を持つ若者を育てるのに適していたのかを、ここで分析して示すことはむずかしい。 

 「井の中の蛙、大海を知らず」という。しかし、井戸の中で育った蛙は、いずれ大海に飛び出ていく。生意気で世間知らずの麻布学園の卒業生達は、だからといって、社会で不適応を起こすことはなく、それどころか、社会のさまざまな側面で大きく活躍している。井戸の中で思い切り元気に育っていることが力になっていることは間違いない。 

 いろいろなところで、ふいに、「藤田さんは麻布のご出身ですか。」と言われることがある。相手が麻布学園出身の方であることもあるが、たいていは、そうでない方で、その時は、「僕が麻布出身だと意外ですか、それとも、それらしいと思ったのですか。」と聞くことにしている。いずれにせよ、麻布学園の出身者には、共通のイメージがある(あるいは、共通のイメージを期待している)ようである。それは、「都会的である」とか「あかぬけている」という上っ面で、かつ当たっている場合も当たっていない場合も多いイメージであることもあるし、「自信と明るさを持っている」という好ましいイメージであることもある。その一方で、これらのイメージの裏返しとして、「粘り強く、どんくさいことをこつこつやる人ではない。」というイメージも持っている人が多いようである。決してそんなことはないはずであるし、「粘り強さ」のない人間が社会で活躍できるはずもない。 

 「自信と明るさ」に「あきらめない粘り強さ」を持つことが成功の秘訣であることを示す寓話を一つ、君達に紹介しよう。視覚認識の脳内機構の研究に大きな貢献をし続けているBela Julesz博士(ハンガリー出身、米国在住)が少年時代に彼のお父さんから聞いた話だそうだ。 

 「ミルクを入れた壷に蛙が転落してしまった。その蛙は、どんなにがんばっても壷の壁をよじのぼることができなかったので、絶望して、泳ぐのをやめてしまい、そのままおぼれて死んでしまった。次の日、別の蛙が同じ壷に落ちた。この蛙も同様にどうしても壷の壁をよじ登ることはできなかったが、彼は自分が助かると信じて、ミルクの中をバシャバシャと泳ぎつづけた。延々と泳ぎ続けているうちに、かきまわされたミルクはバターとなり、この蛙は助かったとさ。」

 

   

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