大阪大学大学院 生命機能研究科 認知脳科学研究室 生物学、脳研究、脳と心、意識、認知脳科学、神経科学、行動学、視覚、錯覚、脳の発達
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右脳左脳論を考える(2):


ある仏教広報誌の記事から


大阪大学 基礎工学部システム科学科
生物工学コース 4年
井上 滋智
2010/01/07初出

プロローグ

 今回は右脳・左脳に対する言説が意外な所に見られる例を紹介します。
 次に紹介する文章はある有名なお寺の出版物に仏教の僧が以下のような文章を書いていたので紹介します。 ここでは、個人的な批判にならないよう著者、出版物の名前は控えさせていただきます。

ある仏教広報誌の記述

(以下引用)
 無を体得するのは間脳(視床下部)と右脳の働きに依るものです。 無の本体、すなわち否定そのものを体解するのが間脳(視床下部)であり、 セロトニンという物質が間脳(視床下部)からでて分別意識を担当している左の脳細胞の働きを停止させ、 右の脳細胞にスイッチを入れる役目を果しています。 しかしながら、セロトニンは、右の脳細胞にスイッチを入れるだけで、 活発に働かすことはできません。右の脳細胞を働かすには、 どうしても左の脳細胞では、分別心では解けない禅問答に、 すなわち公案に参じなければなりません。 右の脳細胞を使わなければ、どうしても解けないのが公案だからです。 我々の苦しみ、悩みのすべては、左の脳細胞が起しているわけであり、 存在の根本的な問題、すなわち矛盾した問題、不条理な問題も左の脳細胞が起こした問題ですから、 左の脳細胞では解決不可能です。 その矛盾した問題は、不条理な問題は、 右の脳細胞がもつ直観力と創造力とで、 すなわち空智慧(無、空にうらづけられた、 直観力と創造力とで成り立っている智慧のこと)でしか解決することが出来ません。
(以下引用)
 二入とは、修行の仕方、ヒトの育て方には二種類あるよ、という意味です。 ひとつは理入と言って、機根のすぐれた者は、公案(禅問題)も参ずることによって、 右の脳細胞を開発して空智慧を手に入れるという意味です。 直観力と創造力とから空智慧はなりたっており、 ドーパミンという右脳内物質公案三昧になると大量に、 難かしい公案に取り組めば取り組むほど増々大量に湧き出てきて 空智慧が体解される。 こちらは、一騎当千の指導者、世界に冠たる第一級の文化の創造者が育つコースです。 二つには、行入、又は事入と言って、 機根の劣った者は、坐禅とか作務、典座(料理をすること)を行うことによって、 間脳とか小脳とかを開発して、禅定力を手に入れるという意味です。 坐禅三昧、作務三昧、典座三昧に入ると間脳から セロトニンという物質が大量に出てきて、 禅定力がより深まります。禅定力とは集中力のことで、ひとつの仕事に打ち込む力のことです。 坐禅が作り出す智慧を定慧と言いますが、この定慧は間脳の働きに依るものであり、 心に、安心、平安、気字壮大な気持ちをもたらします。 しかしながら、直観力と創造力とは、すなわち空智慧が体解できず、 そのために自利の心が強く他の世界に積極的に挑戦していくという活発発地な働きに欠けるところが弱点です。 こちらは機根の劣った人のためのコースなので、 いわゆるの凡人、ただの人、人の後から付いていく人しか育ちません。 せいぜい偉くなっても大学の先生ぐらいにしかなれません。

    語注:
  • 公案…禅宗で、参禅者に考える対象や手がかりにさせるために示す、祖師の言葉・行動。(goo辞書参照)
  • 問答…禅宗で、修行者が仏法についての疑問を問い、師家(しけ)がこれに答えること。禅の代表的な修行法の一。(goo辞書参照)
  • 仏法…仏の悟った真理。仏の説いた法。仏道。(goo辞書参照)


 以下本文中の太字部を順に説明します。 本文は基本的に『カールソン神経科学テキスト第3版』を参照しています。

セロトニンは間脳(視床下部)からでるか?

 間脳視床下部(下図1参照)は、間脳の中にある視床下部という部分です。
 

縫線核

図1:縫線核

視床下部は名前のとおり「視床」の「下」にあります。 この視床下部は、自律神経や内分泌系(ホルモン)を成業している部分です。 一方、セロトニンはセロトニン作動性ニューロンから放出されます。 このニューロンは縫線核(ほうせんかく)に核が存在します。 そこから、小脳、脊髄、視床、視床下部、大脳皮質などに投射することがラットで分かっています (Consolazione A and Cuello AC.,1982)。
つまり、セロトニンは縫線核から出るセロトニン作動性ニューロンから放出され、 視床下部もその放出先のうちの一つであるというのが結論です。

セロトニンは、右の脳細胞にスイッチを入れ、左の脳細胞の働きを停止させるか?

細胞にスイッチをいれるという現象が今ひとつ抽象的なので、問題を 「セロトニンは左半球と右半球で全く異なる働きをみせるか?」 という言葉に言い換えて考えたいと思います。
まず、セロトニンは神経伝達物質です。 神経伝達物質は、ニューロン(神経細胞)から放出され次のニューロンに情報を伝達する役割をもつ物質です。 神経伝達物質を放出するニューロンをA、神経伝達物質を受け取るニューロンをBとします。 多くの場合、Bが神経伝達物質を受け取る際、受容体という受け皿のようなものと結合することが必要です。 受容体と神経伝達物質が結合することにより、ニューロンBは情報が来たことがわかります。
実生活で考えるとこのようになります。
ニューロンAさんがニューロンBさんに回覧板をまわすとします。 回覧板が神経伝達物質です。その時、Aさんは、呼び鈴を押しますよね。 この呼び鈴を押すことで、ニューロンBさんは回覧板が来たことに気づくわけです。 この呼び鈴を押すことが受容体と結合する事になります。

ニューロンBがその後どのような現象を起こすかは、神経伝達物質の種類だけでなく、受容体の種類にもよります。 つまり、同じ神経伝達物質を受け取った場合でも、 受容体の種類によってニューロンBに引き起こされる現象が異なるわけです。
さて、セロトニンに話を戻します。
セロトニンには現在、18種類の受容体が発見されています (Marston OJ et al., 2011)。 そのセロトニンが左右の半球内の細胞で異なる現象を引き起こすためには、 全く異なる種類のセロトニン受容体が左右半球に分かれて存在していなければなりませんが、 そのような事例はまだ見つかっていません。
ちなみに、左右半球で受容体の分布の差を示す研究 (Fink et al., 2009) はありますが、 あくまでも差が存在するのみで、左半球には存在し、右半球には全く存在しないなどということは考えにくいです。

我々の苦しみ、悩みのすべては、左の脳細胞が起しているか?

悩んだり苦しんだりといった試行錯誤している時、 人はあらゆる可能性を探っています。
何かを見たり、聞いたりして悩んでいるときは両半球が活動していることが分かっていますが 、刺激が遮断された状況自分の中だけで考えている場合、 脳の活動はどのようになっているかわかりません。 なぜなら、「なにか刺激を入れたからどうなった」という因果関係が明確でないからです。
脳科学でも左半球と右半球との機能の違いについて研究がなされています。
一般的に左半球は情報の分析、右半球は統合に特化しているだろうと示唆されています(Bradshaw JL, 1978)が、 考える際には両半球の処理が必要なことは言うまでもありません。
我々の苦しみ、悩みのすべては、左の脳細胞のみが起こしているとは考えられません。

ドーパミンは右脳内物質か?

ドーパミンが大脳右半球にのみ存在するという事実はありません。
ドーパミンはドーパミン作動性ニューロンという神経細胞から放出されます。 このドーパミン作動性ニューロンは特に中脳の黒質という部分に存在し、 黒質は中脳の左右の半球に存在します。 (下図2参照)

間脳視床下部と中脳黒質

図2:間脳視床下部と中脳黒質 (カールソン 神経科学テキスト(第3版)参照)

この神経細胞が右半球のみに投射している事実は存在しません。 左右の黒質は、それぞれ左右の半球のいろいろな部位に投射します (Fuxe et al., 1985
つまり、「ドーパミンは右脳左脳の両方に存在する」のです。

ドーパミンは公案三昧、もしくは難しい公案に取り組むほど放出されるか?

ドーパミン作動性ニューロンの変性がパーキンソン病につながります。
パーキンソン病は、震え、手足の硬直、姿勢異常、動作開始困難などの特徴を持つ運動機能障害です。 なので、ドーパミン作動性ニューロンが放出するドーパミンが足りないとパーキンソン病になるとされます。 一方で、ドーパミン作動性ニューロンの異常な活動は総合失調症を引き起こすと考えられます。 総合失調症は幻覚や妄想、正常で論理的な思考過程の崩壊などの症状を示す深刻な精神障害です。
ドーパミンの量が、 多すぎても少なすぎてもいいということはありません。

セロトニンが分泌されるほど集中力が上昇するか?

セロトニンは覚醒状態と関連していることが示唆されています。
例えば、縫線核を刺激すると歩行や脳波記録における覚醒が起きること、 セロトニンの合成を阻害する薬を与えると大脳皮質の覚醒が低下することがわかっています (Peck and Vanderwolf, 1991)。
さらにセロトニン作動性ニューロンのレム睡眠後一秒間で、活動(平均発火頻度)が増えている事がわかっています (Trulson and Jacobs, 1979)。 これは睡眠・覚醒と脳の関係を調べている研究で調べられています。 この睡眠・覚醒というのは脳波によって定められています。 そして、みなさんが日常生活で感じているように覚醒状態は単一ではなく、 集中している時もあれば、ぼーっとしている状態もあります。 つまり、覚醒状態だからといって集中している状態とは限りません。ちなみに睡眠状態は脳波の状態によって細かく区分されます。
よって、よって、セロトニンが集中力と関連していると考えられますが、集中力がセロトニンの分泌量に比例しているというのは、仮説でしかないです。
一方、セロトニンの低下はうつ病と関係するとされていますが、 「うつ病はセロトニンレベルが低下することにより起きる」というわけではないと考えられています。
うつ病に罹ったことある人やうつ病の家族歴をもつ人にはセロトニンを減少させることで、 うつ病を引き起こすことが分かっていますが、うつ病の家族歴がない健常者に同様の状況においてもきぶんにたいしては何の影響がないことが分かっています(Delgado et al., 1990)。 また、一般的にうつ病患者にセロトニンの濃度を増加させる薬を使用しても、症状が軽減するのが数週間たってからです。
このような事実から、セロトニンの上昇は抗うつ効果をもたらす数々の反応を開始させるのではないかと考えられています。

最後に

このように、この記述には脳に関して誤った情報が入っており、人々の誤解を生む可能性があります。
さらにセロトニンなどの神経伝達物質に関する情報は専門書を参照しないと正確な知識が得られません。
このような誤解を一つ一つ消していくのが私たちの役目であると考えています。

参考文献

  • Bradshaw JL (1978) Neuroviews : Human cerebral asymmetry. Trends in Neurosciences.1(2):113-116
  • Consolazione A, Cuello AC. (1982) Central nervous system serotonin pathways. In Biology of Serotonergic Transmission edited by N. N. Osborne. Chichester: England: Wiley and Sons
  • Delgado PL, Charney DS, Price LH, Aghajanian GK, Landis H, Heninger GR.(1990) Serotonin Function and the Mechanism of Antidepressant Action: Reversal of Antidepressant-Induced Remission by Rapid Depletion of Plasma Tryptophan. Archives of General Psychiatry 47: 411-418.
  • Fink M, Wadsak W, Savli M, Stein P, Moser U, Hahn A, Mien LK, Kletter K, Mitterhauser M, Kasper S, Lanzenberger R.(2009) Lateralization of the serotonin-1A receptor distribution in language areas revealed by PET. NeuroImage 45:598-605
  • Fuxe K, Agnati LF, Kalia M, Goldstein M, Anderson K, Harfstrand A. (1985) In Basic and Clinical Aspects of Neuroscience: The Dopaminergic System
  • Marston OJ, Garfield AS, Heisler LK (2011) Role of central serotonin and melanocortin systems in the control of energy balance. Eur J Pharmacol [In Press]
  • Peck BK, Vanderwolf CH. (1991) Effects of raphe stimulation on hippocampal and neocortical activity and behavior. Brain Research 568:244-252
  • Trulson ME, Jacobs BL. (1979) Raphe unit activity in freely moving cats: Correlation with level of behavioral arousal. Brain Research 163:135-150
  • カールソン 神経科学テキスト〜脳と行動 (第3版)、泰羅 雅登・中村 克樹 翻訳、丸善株式会社、2010


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