聴覚信号は如何にコードされるか

われわれの住んでいる世界がさまざまな音にあふれていることは、ほんの少し耳を澄ましてみれば明らかである。今、この文章を書いている私の背後では、同僚達が議論しており、隣室からはコーヒーのわく音が聞こえ、部屋の外では車の走る音がする。われわれが、これらの音を聞いている時、脳は二つの仕事をしている。音がどこから来たかを知ることと、その音が何を意味するかを知ることである。
 そもそも、脳は本当に音の方向を計算しているのだろうか。1978年、KnudsenKonishiはメンフクロウの中脳の神経細胞が空間内の特定の領域(受容野と呼ぶ)から発した音に対してのみ反応し、しかも、それらの細胞が受容野の位置に従って配列して聴覚空間の地図を形成していることを見いだした。視覚空間の地図もまた脊椎動物の脳の中にあるが、視覚の場合、外界空間は水晶体を介して網膜の2次元平面上に投影されている。したがって、網膜の出力細胞がその軸索を整然と脳の中へ送れば、脳による情報処理を伴わずとも、行く先には視覚空間の地図ができる。一方、内耳にある有毛細胞は音の周波数に選択性を持っているが、音の位置はコードしていない。聴覚受容野および聴覚空間地図は、確かに脳において情報処理の結果、作られるのである。
 それでは、一体、どのような「手がかり」を使って、脳は音の位置を算出しているのであろうか。空間内のある特定の位置に音源があった時、音の入ってくるタイミングや検知される音の強度は右耳と左耳では違う。メンフクロウは、この両耳に達する音の時間差(ITD)を用いて音の水平位置を検知し、音の垂直位置を知るためには両耳での音の強度差(IID)を利用している。したがって、神経細胞がいかにして聴覚受容野を持ち得るのか(すなわち、脳の細胞がどうやって音の位置を知るのか)、いかにして聴覚地図を作るのか(すなわち、どのような方法で音の位置を脳の中に表示するのか)という問いは、ITDIIDをコードするメカニズムを問うことに置きかえられる。本講演では、脳がどのような仕組みでITDをコードするのか、その際にどのような問題に直面し、いかにして、それらの問題を解決しているのかを解説する。
 最後に、音の意味の認知機構の研究例として、ヒゲコウモリの超音波による「こだま定位」の研究にも言及し、メンフクロウやヒゲコウモリといった従来の神経科学では”異端”の実験動物の研究が大きな成果を挙げつつある理由を考察する。


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