側頭葉と面構造の知覚

28回新潟神経学夏期セミナー

 脳が行う情報処理の多くが、本来、答えが一意に定まらない問題を解くこと、すなわち不良設定問題の解決である。たとえば、コーヒーカップへ腕をのばすとき、われわれの腕は、無数の軌道を取ることが可能であるが、われわれが自然にこの動作を行う時の軌道は驚くほど一定である。脳は、数ある可能性の中から、一つの軌道を選び、運動指令を発生している。
 ものを見ること(視覚)も、その根本において、不良設定問題である。それは、脳が行っていることが、網膜に投影された2次元像から、眼前にある世界の3次元構造を脳内で再構成することであるからである。2つの方程式しかないときに3つの未知数を求めることができないように、網膜像から3次元構造をひとつに決めることは、本来は、できない。同じ2次元網膜像を与える3次元構造が複数ありうるからである。にもかかわらず、錯視図形を見ている場合をのぞいて、われわれの知覚は安定しており、瞬間瞬間で、眼の前の物体の見え方が変化することはない。
 腕の制御においても、ものを見ることにおいても、脳は、何らかの拘束条件(ヒント)を用いて、解を定めている。脳の情報処理の各局面において、どのような拘束条件が用いられており、それがなぜ動物やわれわれにとって適応的であるのか、その拘束条件が物理世界や自分の体の構造といかに整合的であるのか、その拘束条件を組み込んだ計算アルゴリズムとは何であり、それが神経系によりどう実現されているのか、を問うことは、脳の高次機能メカニズムを調べる際の重要な視点である。
 本講演では、脳が、2次元網膜像から3次元面構造がどのように再構成するのかを議論する。2次元図形に両眼視差を与えると、異なった奥行きや傾きをもった面を知覚することは、両眼視差が、3次元表面構造の脳内での再構築に重要であることを示している。しかし、脳は、両眼視差の検出をはるかに越えた仕事をなさねばならない。それは、両眼視差を与えてもなお、同じ網膜像を与える3次元構造が複数ありうるからである。NakayamaShimojo (Science, 257: 1357, 1992) は、ヒトの知覚実験から、「視覚系は、複数の解釈が可能であるような視覚像を与えられたとき、その視覚像を偶然に生ずるような面構造ではなく、もっとも一般的に生ずるような面構造を再構築する。」という心理法則(一般像抽出原則)を提唱した。この法則は、「視点を少し変えても、物体像は、本質的には変化しない。」という物理世界の法則の裏返しである。脳は、この物理法則を計算拘束条件として用いている。
 この計算原理を可能にしているアルゴリズムとそれを支える神経機構を探るには、その視覚系が生理学的・解剖学的によく調べられているサルを用いた研究が必須である。われわれは、まず、サルが、ヒトと同様、一般像抽出原則にのっとった表面知覚をしているかどうかを問い、サルの表面構造知覚においてもこの法則が成立していることの行動学的証拠を得た。続いて、下側頭葉皮質の神経細胞の反応を調べ、約半数の細胞が両眼視差に選択性を有することと、一部の細胞の活動が、一般像抽出原則にのっとって再構成された3次元表面構造を伝えていることを示唆する結果を得た。これらの結果は、一次視覚野から下側頭葉皮質にいたるいわゆる「腹側視覚経路」が、従来考えられていたように、形・色・テクスチャー(きめ)のような2次元図形特徴の処理だけでなく、3次元表面構造の再構成にも関わっている可能性を示している。


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